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物語を「聴く」から「体験」へ。劇団ロロの「Podcast演劇」に学ぶ、音声表現の新たな可能性

2025.11.12

smnl-lolo-podcast-engeki-strategy 自身の音声コンテンツが配信するだけで終わってしまっている、リスナーとの新しい関係性を築きたい、と感じているクリエイターの方は少なくないかもしれません。もし、音声がリスナーの想像力をかき立て、別の体験へと誘う入口になるとしたらどうでしょうか。

2025年10月、劇団「ロロ」が演劇とポッドキャストを組み合わせた「Podcast演劇」を開始したと発表しました(出典: https://audio-marketing.jp/57766)これは新作公演に先立ち、その一部を音声ドラマとして先行配信し「聴く体験」を劇場での「観る体験」につなげる試みです。

この取り組みは、単なるプロモーションの枠を超え、音声コンテンツの可能性を大きく広げるヒントに満ちています。本記事では、劇団ロロの「Podcast演劇」の手法を、音声コンテンツを作成するクリエイターの視点から分析し、自身の創作活動に活かすヒントを探ります。

1. 劇団ロロが提示した「Podcast演劇」という新しい表現

1-1. 新作公演『まれなひと』の「通話劇」とは

今回の「Podcast演劇」は、2025年9月25日から上演される劇団ロロの新作公演『まれなひと』と連動するプロジェクトです。舞台公演に先立ち、9月6日からポッドキャストで「通話劇」と題した音声ドラマの配信が開始されました。

具体的には「いくつもの短い通話劇をポッドキャストで配信しながら最終的に長編作品として舞台化する」という構造をとっています。例えば、第1話「ラリアットしたい編集者と、されたくない作家」は、編集者が作家に「明日、あなたにラリアットしたい」と電話をかける奇妙な会話劇です。

リスナーは、これらの断片的な「通話劇」を通じて、登場人物の関係性や作品の空気感に触れることができます。これは、音声コンテンツを独立した作品として提供しつつ、最終的な舞台公演(本編)への導入、すなわちオンボーディングとして機能させる巧みな設計です。

1-2. なぜ「音声ドラマ」ではなく「Podcast演劇」と呼ぶのか

ロロは、この試みを単なる「音声ドラマ」や「プロモーション・ポッドキャスト」とは呼びませんでした。あえて「演劇」という言葉を冠した点に、主宰・三浦直之氏の強い意志が感じられます。

これは、ポッドキャスト配信を単なる宣伝(マーケティング)としてではなく、舞台公演と並列するもう一つの独立した上演(Performance)の場として位置づけようとする芸術的な宣言です。

「聴く体験」を「観る体験」の補完や下位の存在として扱うのではなく、両者を「つなげる」対等な体験として提示する。この姿勢こそが「Podcast演劇」という造語に込められた核心的なメッセージと言えるでしょう。

2. クリエイター視点で分析する「聴く」と「観る」の連動設計

この「Podcast演劇」は、音声クリエイターにとって、自身の作品とリスナーとの関係性を深めるための多くのヒントを含んでいます。

2-1. 狙い:音で想像力を喚起し、劇場(本編)へ誘う

「Podcast演劇」の最大の狙いは「『聴く体験』を劇場での『観る体験』につなげる」ことにあります。

前述の「通話劇」 は、物語の一部シーンであり、断片です。リスナーは「なぜ編集者は作家にラリアットをしたいのか?」 といった謎や、登場人物間の空白を自らの想像力で補完するよう促されます。

音だけで提示された断片的な情報から、リスナーは自分なりの物語の全体像を構築します。この想像を抱えた状態で劇場(本編)に向かうと、そこで提示される現実(全体像)との答え合わせが発生します。

この、自らの想像と現実とのズレや一致を楽しむ鑑賞行為は、リスナーを単なる受動的な鑑賞者から、能動的な物語の共同構築者へと変える仕掛けです。音声コンテンツが、本編の体験をより深く、より個人的なものへと昇華させています。

2-2. 舞台の「一部シーン」を切り出す手法

クリエイターの視点として注目すべきは、新作(長編作品)をゼロから作るのではなく、既存の、あるいはこれから作る本編(舞台)の一部シーンを切り出して音声コンテンツ化している点です。

ロロの手法は、関連する別作品(スピンオフ)を作る世界観の拡張とは異なります。そうではなく、一つの長編作品を意図的に解体し、その構成要素(断片)をポッドキャストという異なるメディアに配置し直す行為です。

これは、音声コンテンツの制作者にとって、非常に示唆に富む手法です。例えば、インタビューコンテンツの本編を配信する前に、最も刺激的な問答の一部だけを切り出して先行配信する。あるいは、解説コンテンツの結論だけを先に提示し、その理由は本編で、といった構成も考えられます。

断片を提示することでリスナーの想像力を刺激し、本編への期待感を高める。この解体と再構築 のアプローチは、多くの音声コンテンツに応用可能です。

2-3. リスナーの体験をデザインする:3つの鑑賞スタイル

さらに注目すべきは、ロロの主宰・三浦氏が、リスナーに多様な鑑賞スタイルを許容している点です。

ポッドキャストを聴いて劇場へきてくれる人がいても嬉しいし、ポッドキャストだけで楽しんでくれる人がいても嬉しいし、ポッドキャストを聴かずに劇場へ来てくれる人がいても嬉しいです。

この発言は、従来の「先行コンテンツは本編に誘導してこそ成功」という考え方を覆すものです。三浦氏は「ポッドキャストだけ」で楽しむリスナーの存在を明確に肯定しています。

これは、演劇体験における物理的な劇場の絶対性を意図的に脱中心化する試みです。ポッドキャスト版を、舞台版の「予告編」や「不完全な代替品」としてではなく、それ自体で完結する独立した芸術作品として定義しています。

クリエイターは、リスナーがどの体験(「音声だけ」「本編だけ」「音声と本編の両方」)を選んでも満足できるよう、それぞれの接点をデザインすることが求められます。ロロの試みは、リスナーに体験の編集権を委ねる、新しいクリエイター像を示しているとも言えるでしょう。

3. なぜポッドキャストを選んだのか?音声メディアの特性を活かす

ロロは、なぜ映像やテキストではなく、ポッドキャストという「音声」メディアを選んだのでしょうか。そこには、メディアの特性を最大限に活かした戦略的な理由があります。

3-1. 「通話劇」とポッドキャストの親和性

ポッドキャストは、イヤホンを通じてリスナーの耳に直接届けられる、本質的に親密性(Intimacy)の高いメディアです。一方で通話は、最もプライベートなコミュニケーション形態の一つです。

この二つを組み合わせた「通話劇」 は、リスナーに「プライベートな会話を盗み聞きする」ような体験を提供します。この親密な体験は、リスナーと登場人物、ひいてはロロというブランドとの間に、個人的な親近感信頼感を醸成します。

ポッドキャストが持つ親密感の醸成というマーケティング特性 と「通話劇」という芸術的形式 がここで完璧に融合しています。

3-2. 映像(映画)では表現し得ない「演劇の魔法」とは

ロロの主宰・三浦氏は、過去に映画作品も手掛けています。しかし、その作品には「演劇で観たかった」 という批評や「(演劇なら想像で海を立ち上げられるが)映画で本当にカメラを海に向けてしまうのは、蛇足」 といった分析が寄せられました。

映像(映画)というメディアが持つ写実性(リアリズム)は、時に観客の想像力の余地を奪ってしまいます。言葉と身体だけでを立ち上げるからこそ、観客の想像力は無限に広がります。

この、観客の想像力に委ねる力こそが演劇の魔法です。

今回の試みで、映像を排した音声のみのポッドキャストを選択したことは、この演劇の魔法、すなわちリスナーの想像力の余地を最大限に確保するための戦略的な判断だったと考えられます。音声は、視覚情報がない分、リスナーの想像力を最大限に喚起し、映画で直面した写実性の罠を回避することができるのです。

4. 自身の創作に活かすヒント

ロロの試みは、一朝一夕に生まれたものではありません。過去の地道なメディアミックス戦略と、他の類似事例との比較から、我々クリエイターが学べる点を抽出します。

4-1. 劇団ロロの過去のメディアミックス戦略

三浦氏は「さまざまな事情でなかなか劇場に行けない人へ向けた、劇場の『手前』の作品」を作りたい、という想いを以前から持っていました。このアクセシビリティ(門戸の開放)の追求は、過去の取り組みにも表れています。

4-1-1. 戯曲の無料公開

ロロは「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高校」シリーズ(通称:いつ高シリーズ)において、戯曲(脚本)をホームページ上で無料公開しています。これにより、物理的に劇場に来られない人々も、テキストの形で作品世界に触れることが可能になりました。

4-1-2. オンライン上演

同シリーズでは、オンラインでの上演や、過去作の期間限定配信も行われています。

これらの施策は、物理的な劇場に縛られた演劇体験をデジタル技術で解放しようとする試みです。戯曲の無料公開やオンライン配信で培った劇場外の観客に届けるノウハウが、今回の「Podcast演劇」という、より手軽で日常的なメディアの活用へと発展したのです。

4-2. 世界観を拡張する他の事例(ラジオドラマと舞台の連動)

演劇と音声を連動させる試みは他にもあります。例えば、ロキジョーンズによる『あやかし商店街の巡』というプロジェクトです。

この事例では「ラジオドラマ」版の主人公は「小学4年生」その10年後を描く「舞台公演」版の主人公は「大学2年生」という設定になっています。これは、メディアミックスによる世界観の拡張(フランチャイズ)戦略であり、スピンオフに近い形です。

これに対し、ロロの『まれなひと』は、前述の通り一つの長編作品解体し、その一部シーンを先行配信するアプローチです。

どちらが優れているという話ではなく、アプローチが異なります。

  • ロキジョーンズ型(世界観の拡張): 既存の作品世界をベースに、異なる時間軸やキャラクターで別の物語を音声コンテンツ化する。
  • ロロ型(単一作品の解体・再構築): これから発表する「一つの作品」の「断片」を音声コンテンツ化し、本編への期待感を高める。

自身の作品がどちらのモデルに適しているか、またはこれらをどう組み合わせるかを考えることは、音声クリエイターにとって重要な戦略となるでしょう。

5. まとめ

劇団ロロの「Podcast演劇」は、単なる演劇界のニュースに留まらず、すべての音声コンテンツクリエイターに「表現の新たな可能性」を提示しています。

今回の分析から見えてきたのは、以下の点です。

1. 音声は「本編」への「入口」となる

音声で物語の「断片」を提示し、リスナーの想像力を刺激することで、本編(商品やサービス、別のコンテンツ)への能動的な参加を促すことができる。

2. メディア特性の最大化

ポッドキャストの「親密性」 や、映像を排した「想像力の余地」 を戦略的に活用することで、リスナーと深い関係性を築くことができる。

3. 体験の「脱中心化」

「音声だけ」「本編だけ」「両方」など、リスナーに複数の体験スタイルを許容することで、門戸を広げ、多様なニーズに応えることができる。

ロロの試みは、音声コンテンツがもはや配信して終わりではなく、リスナーの想像力と出会い、彼らを「物語の共同構築者」へと変える力を持つことを証明しました。

自身の作品の「一部」を、ポッドキャストという「劇場の『手前』」に配置することは、リスナーとの新しい関係性を築くきっかけとなるかもしれません。

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曽志崎 寛人
PROPO.FM Producer
曽志崎寛人
歴史ポッドキャスト「ラジレキ〜ラジオ歴史小話」 ナビゲーター